still crazy after all these years



カテゴリ:観た映画( 32 )


ラブレター

拝啓、ガイ・ピアースさま。

『不良探偵ジャック・アイリッシュ』 を観て、久しぶりに大好きなあなた (の顔) と会うことができ、とても嬉しく、このお手紙を書くことにしました。

昔からあなたのことが大好きでした。 多分最初にお会いしたのは 『プリシラ』 です。 あの映画が好きすぎてワーキングホリデー先をオーストラリアにしたくらい、ノックアウトでした。 出会いがこの映画だったという背景を鑑みると変かもしれませんが、私はあなたの顔がとても好きです。 知性と粗野さ、スマートさと不器用さが共存する顔。 やさしい目元と、ちょっとふくれっつら気味の口もと。

『LAコンフィデンシャル』 は、まさにそうした顔がぴったりの役どころでしたね。 クリストファー・ノーラン監督の傑作 『メメント』 も、主演があなたでなければ、あの奇抜な設定にもかかわらず醸し出す妙な真実味はなかったと思います。
『ラビナス』 とか 『モンテクリスト伯』 とか、『タイムマシン』 のようなちょっとアレレな映画も、あなたの顔を観られて幸せでした。『トゥー・ブラザーズ』 では、長髪は似合わないと思いましたけど、オーストラリアが舞台の作品だと、やはりいきいきしてる気がします。

『英国王のスピーチ』 で、女をとって国を捨てるダメ兄貴も、ぴったりでしたね。 『ハングリーラビット』 は、あまり暴力性に説得力がなく、拍子抜けでした。『イン・ハー・スキン』 は、もう少し狂気を見せてほしかったのだけれど、あれは役柄上仕方ないのかもしれませんね。

自分でも変だな、と思うのです。 あなたのようなタイプの顔を、実生活で好きだと思ったことはないんですよね。 強いて言えばサッカーの本田くんが少し似てるような気がしないでもないんだけれど (特に 『メメント』 のとき)、全然好みではありませんし。

ともかく、だからこそ、あれは悲しかったんです。憤ったんです。
何のことだかわかりますよね。『プロメテウス』です! あの顔、あれはいったいなんなんですか!
あなたはゲイリー・オールドマンじゃないでしょう!
『プロメテウス』 はちゃんと 『2』 が作られるようだから、そのときにあなたが素顔で出演するための布石だと信じているけれど、そうでなかったら and/or 万が一 『プロメテウス2』 が頓挫でもするようだったら、監督のリドリー・スコットは藁人形で呪ってやるつもりです。

・・・すみません。 熱くなってしまいました。
そういうわけで、『不良探偵ジャック・アイリッシュ』 では、素顔のあなたを見ることができて、本当に嬉しかったのです。 正直、Vol1の 『死者からの依頼』 編は、作品としてはいまいちかな、と思います。 登場人物が入り乱れすぎてわかりにくいし。 「不良探偵」 という邦題のアレさ具合はいいとしても、不良と言うほどやさぐれていないし。 奥さんを亡くしたことがトラウマで人生が変わるという設定のありがちさもいいとしても、だとしたら、元奥さんをあんなイケイケねーちゃんな女優にしちゃ説得力が薄いと思うし。

それでも、「知的で粗野」 というあなたらしさを100%活かした役どころ、とてもすてきです。 改めて惚れ直したといっても過言ではありません。

どうかこれからも、監督にそそのかされて特殊メイクなどせずに、その笑顔とふくれっつらを見せてください。 スクリーン越しにお会いするのを、とても楽しみにしています。

愛をこめて。
ゆみこ



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6/18の作業記録
 案件A:20枚訳す。
 案件J:2枚訳す。
 案件K:6枚訳す。

6/19の作業記録
 案件A:20枚チェック。
 案件J:8枚訳す。
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by yumi_in_the_rye | 2015-06-20 23:36 | 観た映画 | Comments(0)

世界はそれを愛と呼んだり呼ばなかったりするんだぜ

先日まで訳していた本の中に「人は映画に未知と既知を求める」 という表現があって、訳しながらそうだよなぁと思った。 見たこともない映像、体験したことのない世界を見せてほしいと望みつつ、そこに 「ああ、この感情は知っている」 という共感を求める。人は映画をそうやって楽しむものだ。 まぁ映画に限らずだけど。
で、『インターステラー』 を観たときの感覚は、まさにそれだったな、と。

時間と空間の 「先」 があんなふうにつながっている様子は、確かに今までの映画では観たことのない未知の映像だった。 その一方で、あれは確かに私にとって既知だった。 中学校や高校の図書館でさんざんのめりこんだSF小説で、さんざんなじんだ世界だったから。 日本で1人挙げるとすれば私にとっては新井素子で、外国ではP・K・ディック、いやブラッドベリか、ハインラインかな。

だから、『インターステラー』 を観たとき、むしろ 「ああ、ようやく追いついてきたんだな」 という感想のほうが強かったかもしれない。

あの映画は「結局、愛の話にしちゃうのが幻滅」 という感想をよく聞くけれど、私はそうじゃないと思っている。 あの話は、「人は名付け得ぬものに何か名前をつけようとせずにいられない。 それにたどりついてしまうことを恐れながら、求めに行かずにはいられない」 という話じゃないだろうか、と。
名付け得ぬものを愛と呼ぶか。 科学と呼ぶか。 絶望と呼ぶか。 時間と呼ぶか。それはまったく違うように見えて、実は大きなひとつのことにすぎないのかもしれない。アン・ハサウェイ演じるアメリアが最初のワープで触れた 「何か」、彼女が愛と呼んだそれが、主人公親子にとっての真実であり、知力と科学を尽くして追求していた成果でもあったという一点に、それは象徴されていると思う。 そもそもこの映画は最初から <ネタバレ→> 希望と呼びたいものを科学にすりかえ、その妄想を守るというのが目的であったのに、それこそが真実につながってくる<←> という話なのだし。

なんと名をつけていいかわからないから、人はそれをひとまず知っている言葉で呼ぶ。 その名前もわからぬ未知のものは決して手に入れられない (手に入れた途端にそれは既知という別のものに変質するから) ので、「追いかける、求めに行く」 というプロセスを続けずにはいられない。

愛と呼ぶものと理性と呼ぶものと、宗教と科学と、芸術と数学とは、結局のところは同じ1つの名付け得ぬものを 「どう呼んで、どう求めていくか」 というだけの違いじゃないだろうか。

この感想すらも私にとってはきっと既知の感想だ。 映画 『コンタクト』 を観たときも、『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』 や 『ビューティフルマインド』 を観たときも似たようなことを、けれどそのたびごとに新鮮に考えたような気がする。 それらの対極にあると言えそうな 『17歳のカルテ』 や 『シルヴィア』 (どちらも映画、本ともに) でも。

ぶっちゃけ、英語のLOVEはかなりおおざっぱでいい加減な言葉だなぁと思っているのだけれど、それは 「よくわからないもの」 を意味的にもメタ的にも的確に表しているんじゃないか、という気がする。

サンボマスターが 「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」 というときも、
中島みゆきが「それは愛ではない」というときも、
まったく正反対のことを言っているようで、奥底ではきっとまったく同じことを指しているんだぜ。






・・・ちなみに、これはとても微妙な話で説明しづらいのだけれど、翻訳ではごくまれに「正反対に訳したほうが同じ意味になる」というときがある。原文が間違っているとか日本語で意訳するとかいう問題ではなく。
大きく見たときの真実は、実に多彩な顔をもつことがある。そういうのに出会えるのもこの仕事の面白さの1つ。
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5/29の作業記録
 案件A:13枚訳す。
 案件K:8枚訳す。
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by yumi_in_the_rye | 2015-05-30 11:55 | 観た映画 | Comments(0)

2014年に観た映画【前編】

昨年は109本。
今だから言えるけど昨年の夏頃は仕事が暇で(完全にゼロじゃなかったけど、思うように来なくて)どきどきしながら映画ばっか観てた・・・。



そのわりに感想もまばらにしかメモしてませんが。
後日埋める可能性もあり。






2014年に観た映画【前篇】
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by yumi_in_the_rye | 2015-01-02 12:05 | 観た映画 | Comments(0)

2014年に観た映画【後編】

つづき。






2014年に観た映画【後編】
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by yumi_in_the_rye | 2015-01-02 11:59 | 観た映画 | Comments(0)

泣きおとこ


それが仕事だと言われればその通りなわけで、いやむしろそれをしない部分でどう表現できるかが大事なんだよと言われれば、それも本当にその通りなのだけれど、私はいまだに映画やドラマで役者が泣くシーンについ感嘆する癖がある。 こきざみなカットじゃなくて、長回しのカメラワークで、目が赤くなって鼻水が出て顔の筋肉がひきつって、という表情が映しだされると、役者という仕事は本当にすごい、と心から思わずにいられない。

今年は観た映画の本数が順調に増えているのだけれど、なんだか見事な男泣きのシーンをたくさん目にした。 で、唐突に、最近すごく心に残った男泣きの映画5本を。 順不同ですが。

『レ・ミゼラブル』のヒュー・ジャックマン
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ミリエル司教から燭台を「返された」あとのジャン・ヴァルジャン。歯の汚さがリアルでイイ。



こっちもヒュー・ジャックマン、『ファウンテン/永遠に続く愛』から。
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つかえるような号泣がね。もうたまんない感じ。


そして『悪の法則』のマイケル・ファスベンダー。
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これも、指の関節が破れて出血しているディティールがすごく効いている。
ファスベンダーは 『SHAME』 の泣きもよかった。
実体はアンドロイドだなんて信じられない(それは『プロメテウス』)。


『悪魔を見た』のイ・ビョンホン
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この人はもともと泣きの演技が上手で、この映画でもさんざん泣くのだけれど
前半の静的な涙との落差がすばらしい。
歩きながら慟哭すると、足がもつれるんだよね・・・。


ここ最近で一番見ていて胸を揺さぶれられたのはこれ、
『ブエノスアイレス』のトニー・レオン
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これは表面的には、始まりもしなかった恋の終わりを知るシーンなのだけれど、
その後ろにあるもうひとつの恋の大きさにどうしようもなくなる心が
何の台詞もなく、ここに集約されている。
同作ではレスリー・チャンが泣くシーンもとてもよかった。
お互い、自分がつっぱねた/自分が悪かったと知っている恋の終わりだからこそ、なおさら。



「泣くのがうまい役者が好き」なんじゃなくて、単に「私の好きな役者が泣くのが好き」のような気もするけど。でも、スティールじゃなくて動画で見ると本当に胸に迫るのよ。
・・・このエントリに特にオチも結論はありません。好きだったら好きだ、と。

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10/19の作業記録
 案件E:12枚訳す。
 案件J:ゲラチェック。
 案件N:9枚訳す。
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by yumi_in_the_rye | 2014-10-20 22:21 | 観た映画 | Comments(0)

トリックがトリックでなくなるとき

そういえばなかなかまとめられずにいたけれど、『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した物語』 は衝撃的な映画だった。

文学技法の1つに 「信頼できない語り手」 というのがある。 要するに主人公が無意識的または意識的に読者・観客をミスリーディングする叙述トリックなのだけれど、私は基本的にはいつもその可能性を排除して読む/観ることにしている。 疑ってかかるんじゃなくて、ひとまずは主人公のFirst Person Viewをまるっと信じて物語に入る。 それがだんだん危うくなってくるぞわぞわした感じや、あるいは唐突に崩されるときの衝撃。そういう、こちらの疑似アイデンティティが完全に転覆する体験が、フィクションを味わう醍醐味のひとつだと思うからだ。

もちろん、それは 「やられた!」 と舌を巻くような巧みさでやってくれなくちゃだめなわけで、「反則じゃん!」としか思わせないレベルだと反感しか抱けない。

前者の代表は、たとえばカズオ・イシグロやナボコフの作品。 イシグロの作品は映画版でも巧みに仕上がっている。

一方、これをミステリのトリックに使うとどうも陳腐に陥ることが多い。 最近観た映画では、ミラ・ジョボビッチの 『パーフェクト・ゲッタウェイ』 はB級。 キリアン・マーフィーとロバート・デニーロの 『レッド・ライト』 は、心意気は買うけれどいまひとつかなぁ・・・という印象。 反対に、このトリック成功例としては有名すぎるけど、やっぱり 『ユージュアル・サスペクツ』 は見事だった。 脳をぐんにゃりさせてくれるといえば 『メメント』 がぴかいち。 『アザーズ』 も最後までだまされた。
(少々オタク気味な例なので挙げるのはためらわれるけれど、漫画『3×3 EYS』の第二部で、「主人公が主人公じゃなかった」というのも衝撃的だったなぁ・・・あ、くしくも主人公の名前がこちらもパイだけど)

『幸せの行方...』 は、さらにこの叙述トリックを逆手にとっていて、本当にすばらしいと思った。 主人公を演じるライアン・ゴズリングは、心の奥底に強い暴力性を秘めた役柄をやらせると実に見事で、暴力ふるっていたほうが真実味があるというか、(現実世界では絶対にありえない評価なのだけれど)「暴力ふるってたほうがカッコいい」 というおそるべき俳優だ。 そのライアン・ゴズリングに主人公を演じさせ、しかも彼が暴力を振るうシーンを一度も描かない (一度、妻の髪をつかむだけ) ことによって、最後まで真相を明らかにしないにもかかわらず 「絶対こいつがやった」 と観客に信じさせる。 あれは巧い。



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8/20の作業記録
 案件A:23枚チェック。
 案件C:5枚訳す+8枚チェック。
 案件H:11枚チェック。
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で、長々と遠回りしたけれど、『ライフ・オブ・パイ』。 【以下、結構なネタバレ】
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by yumi_in_the_rye | 2014-08-21 07:57 | 観た映画 | Comments(0)

蝶がはばたくまで

大昔にテレビで断片的に観たっきりの映画 『パピヨン』 を観た。ご存じのとおり、スティーブ・マックイーンとダスティン・ホフマンの共演。つまりマックイーンが存命なら、まだまだ色んな映画に出てたっておかしくなかったのよね。クリント・イーストウッドに雰囲気と傾向がかぶるような気もしないでもないけど、イーストウッドよりやや甘い顔立ちだし――そういう意味ではジャッキー・チェンのほうが近いかも――作品の棲み分けは可能だったと思う。

で、『パピヨン』。
同じくマックイーン主演の 『大脱出』 とは似て非なるこの作品は、私の記憶の中ではイーストウッドの 『アルカトラズからの脱出』 に近い位置づけだった。 脱出するかしないか、どう脱出するか、という話。 どちらもノンフィクション。 どちらも主人公の執念がストーリーの軸になっている。

だけど先日特別版のDVDでこれを観て、違うかも、と思った。

映画や文学の解釈には、著者や時代の背景を考慮に入れて、そのコンテキストの中で作品を解析するやり方と、あくまで作品 「だけ」 で考察するやり方がある。 後者の場合、たとえ著者や監督が 「こういう意図があって」 みたいな正解を言っていたとしても、それは全く無視。 書かれた時代の風潮とか、監督の作風とか、そういうのも一切なし。 テクストだけで解釈の余地をめぐらせる。著者ではなくあくまで登場人物に対して心理学的アプローチで迫ったりすると、なかなか面白い見解が出てきたりする。
まぁ、ちゃんとした大学の文学研究なんかでこの解釈方法は基本的には通用しないので、創造と想像の可能性を楽しんでひねりまわすときの手法だと思っているけれど。

で、再び『パピヨン』。
これは自伝をもとにした小説が原作なので、正解はわかっている。 もちろんSFでもファンタジーでもない。 だけど原作や作者の存在をいったん無視して、完全に勝手な想像をめぐらせるとしたら――実は 『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日』 と同じ構成だとは解釈できないだろうか。

つまり、パピヨンの2度目の脱走は<ネタバレ。結果的に『パイ』のネタバレにもなります。選択すれば読めます→>成功しなかった。 壁を乗り越えて脱走を図ったまでは事実で、その直前か直後に簡単につかまってしまったとしたらどうだろう。 あんなに入念に準備して決死の覚悟で臨んだのに、やすやすと頓挫して、その後あの独房に5年間も閉じ込められたんだとしたら。正気を保つのが難しい幽閉空間で、食料も光もきっと減らされて、 「あそこでつかまらなければ、今頃は」 というロールプレイを何度も繰り返していたんだとしたら。 結果的にはつかまってしまったけれど、少なくともあっけない失敗じゃなくて、それなりにいい線までは行ったという物語を作らずには耐えられなかったの<←>だとしたら。

だから、2度目の脱走の展開は、<→>彼が5年間幽閉されていたあいだに脳内で経験したこと<←>。そう解釈すると、例の不思議な先住民の存在も特に違和感はなくなる。

刑務所から逃げるか逃げないかの話じゃなくて、自分が本当に納得する物語を体験(<→>脳内体験も含めて<←>)するかしないかの話。 そしてその 「納得」 の敷居は、人によって低かったり高かったりするんだー―と、そんな映画として観るのも面白いんじゃないか、と。

こんなのもどうでしょうかね。もちろん、背景をあえて読まない勝手なひねくりまわしのお遊び解釈ですが。



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8/18の作業記録
 案件B:読んでる。
 案件H:8枚訳す。
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by yumi_in_the_rye | 2014-08-19 16:03 | 観た映画 | Comments(0)

少しだけかわいいのがいい

女が男を 「かわいい」 と言うことを、嫌がる男性は多いと思うけど――最近の若い人はそうでもないのかな――女が言う 「かわいい」 には2種類ある。・・・って、私が女を代表して語ること自体がどうにもこうにも成立しないんだけど、まぁそのへんは目をつぶってちょうだい。

1つは、造形的にかわいい、というやつ。 アイドルちゃんの端正な顔立ちを魅力的だと思うときに言う台詞だ。 パンダがかわいいとか猫がかわいいとかに近い。 そりゃ文句なしにかわいいに決まってる。

で、もう1つは――女が年齢を重ねたなら、こっちの 「かわいい」 を評価できるようでありたいと私は思うのだけれど――いい大人がふと垣間見せる一抹の 「滑稽さ」 みたいなもの、それに対する 「かわいい」 という感情じゃないだろうか。 簡単に言えば、隙を見せてくれるところに惹かれる、というか。
「一抹の」 というのがポイントで、二抹か三抹くらいならイイけれど、これが10抹や20抹になっちゃ台無し。 それだったらむしろ100抹くらいに振り切れてくれないと。
独断と偏見で言いますと、コメディをやっているときのジム・キャリーとかMr.Beanとかは、100抹もしくはそれ以上で、彼らはそれがとっても魅力的。 旅人になっちゃったサッカー選手は15抹くらいの実にイタい感じ。 足が太くなるから練習しないと言っていた野球選手はむしろ60抹くらいで、あれはあれでカッコいいと思えちゃう。

で、その微妙で希少な 「一抹の滑稽さ」 を漂わせる俳優として、彼よりも魅力的な人はいないんじゃないだろうか。 そう思いながら、映画 『シー・オブ・ラブ』 を観た。
主演、アル・パチーノ。

パチーノが演じる刑事のフランクは酒に酔って深夜に元妻に電話するようなダメなやつで、職務とはいえ惚れた女にも再三の嘘を重ねるのだけれど、だんだんと彼女に本気で恋していく姿が何ともいい具合に滑稽で、これが本当に本当にかわいい。 彼女の店で買ったダサい靴を履いて会いに行く場面もいいけれど、いちど完全に切れた縁を何とか取り戻そうと人ごみの中で必死に駆け寄って口説く様子は、何度も嘘をつかれた彼女が許してしまうのも当然と思わずにはいられない。 あの声で、あの渋さで、そしてかわいい。 もう、これに勝てる女なんているだろうか。
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とはいえ、そういう意味では、この映画のパチーノの滑稽さは三抹くらいだと思う。 もっと厳密に 「一抹の」 が出ているのは、たとえば 『フェイク』。 ジョニデに裏切られたと感じて船の上で拗ねるときの姿は、まさに一抹の滑稽さを漂わせ、だからこそ悲哀が胸に迫ってきて、そしてもう本当に魅力的だ。
ふと思ったけど、アル・パチーノのかわいさは、ダニー・デビートのかわいさにちょっとだけ通じるものがあると思う。 つまりイタリア系の男のかわいさが絶妙ってことなのかしらん。

相手役のエレン・バーキンも、これまた 「隙のある美女」だ(美保純に似てるけど)。 唇をゆがめて笑う笑顔はキツそうで、かと思えば幼くて。 白いタンクトップとジーンズで無造作に髪をまとめたカッコもいいけど、タイトスカートの着こなしは女でも惚れぼれするくらい。

映画自体は、刑事が殺人の容疑者と恋に落ちるという、まぁわりと王道で小粒のサスペンス。 でも、ちょっとだけ滑稽でかわいい男は最高である、という証拠のような作品だと思った。


・・・そうそう、最後に、タイトルになっている曲 Sea of love をトム・ウェイツが歌うのがすごくイイ。 トム・ウェイツも、そういうかわいさのある人だと思うんだけど。

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5/2の作業記録
  案件A:29枚訳す。
  案件D:8枚チェック。

5/3の作業記録
  案件B:読んでる。
*8キロ走る。
 
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by yumi_in_the_rye | 2014-05-04 18:20 | 観た映画 | Comments(2)

自分はどっちの側か、という話

・・・で、書きたかった本題は、映画 『キャリー』 を観た、という話。デ・パルマが監督した1976年のほうではなくて、2013年のリメイクのほう。
狂信的な母親のもとで異常な育てられ方をした少女が学校で凄絶ないじめを受けて、芽生えてしまった超能力で街を火の海にする、という話。

原作 (スティーブン・キングの) も好きだし、デ・パルマの映画化も傑作――原作の表現という面でも、その後のデ・パルマ作品にも明らかに受け継がれている手法やカットの数々を確認できるという点でも――だと思っている。 ただでさえ原作ファンはリメイクに対して手厳しくなりがちだ。だけど極力そういう主観は排してリメイク版を観たつもりだし、テーマはある意味で普遍的なものなので、巧く現代風に仕上げてくれるんじゃないかという期待があった。

結論から言うと、全然ダメ。 もう本当にダメ。  脚本が、とか、最後の茶番が、とか色々ケチのつけどころはあるんだけれど、一番ダメなのはキャリーが可愛いことだと思う。

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キャリーを演じるクロエ・グレース・モリッツ――『キックアス』 で有名になったようだけれど、私としては 『モールス』 の、と言いたい――は、キャリーを演じるにはあまりにもかわいい。 最初から目に力がありすぎる。 あれは、真正面から相手の目を見る/見られることに慣れている人間の顔だ。 おどおどと自信なく陰気くさい演技は確かに巧いのだけれど、あくまでも演技としての説得力しか感じられない。
何よりクロエのキャリーを見る観客は、「ちょっとくらい変わってるからって、いじめるのはかわいそう」 と思うだろう。 それこそが、この映画を台無しにしている部分ではないか。

デ・パルマの 『キャリー』 の主演であるシシー・スペイセクが素晴らしいのは――そして恐ろしいのは、「ああ、確かにこんな子ならばいじめられても仕方ないかも」 と観客に思わせてしまう力があったことだ。
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あの映画は、自分がキャリーの側ではなく、むしろキャリーをいじめる側 and/or 傍観する側に近いのだ、という事実を突き付ける。 だから終盤でキャリーが爆発するのシーンが怖いのだ。 普通に主人公に感情移入したならば、あのシーンは爽快のはずなのに、とてもそうは感じられない。 なぜなら自分は修羅場と化したプロムで焼き殺されるほうの立場だと心のどこかで知らされているからだ。

リメイク版 『キャリー』 に、「自分は実は加害者である」 という視点が欠けている象徴ともいえるのが、キャリーをかばう体育の先生の描写。 あの先生はキャリーをなぐさめ、いじめっこたちを叱るのだけれど、原作では彼女の心にもほんの少しキャリーを嫌悪する気持ちがある。 それがリメイク版で全く描かなかったのは、主演の可愛さに次ぐ大失敗だ。

とはいえ、リメイク版が優れていた点もちらほら。 キャリーいじめに加わった後悔と、そして自己欺瞞から、同級生のスーは自分の彼氏をキャリーに貸し出す。 その彼氏の表現はリメイク版のほうがよかった。 「彼女が言うから仕方なく」 の心理と、「俺はスポーツマンだし、人間は公平であるべきだから、みんながやらないようないいことを胸を張ってするんだぜ」 の傲慢さと浅はかさが、よくあらわれていた。 デ・パルマのほうは、彼はキャリーに多少なりと恋心を感じたのかも、と思わせる余地が生じてしまっていたと思う。

そして、リメイク版のキャリーの母親を演じるジュリアン・ムーアは本当に素晴らしい。 これまで母親のことはキャリーの 「敵」 で 「諸悪の根源」 としか見ていなかったけれど、リメイク版ではわりと母親の心理のほうに寄りそう気持ちで見てしまった。 それは私自身の年齢が母親のほうに近くなったせいでもあるけれど、ジュリアン・ムーアが表現する異常さが恐ろしい現実味を持つせいだ。 作品としては残念だけど、この母親を観るためだけでも観賞の価値はあると思う。


あと、現代版ならではの要素が 「キャリーの醜態をスマホで撮影してYouTubeに載せる」 「それをプロムの例の瞬間の寸前にスクリーンで流す」だけだったのは、確かに残酷ではあるけれど、少し物足りないかも。 むしろ現代ならではのいじめの陰湿さみたいなのをもっと出したほうが、映画としては面白いと思うんだけど。




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 4/12の作業記録
 案件A:原稿整理。
 案件H:2枚訳す。
 
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by yumi_in_the_rye | 2014-04-13 19:37 | 観た映画 | Comments(0)

信じている。

生まれ変わりはある、と信じている。
あの世の存在も、臨死体験も、真実だと信じている。

・・・というのは半分嘘で半分は本気。
正確に言うならば、「生まれ変わりはある」 と信じる人がいて、人間にとって 「信じる = 真実」 となるのだ、と思っている。 臨死体験をしたと信じるならば臨死体験をしたのであって、それは 「臨死体験は間違いなく存在する」 とイコール (ここではニアリーイコールと言わずにイコールと言う) だ。  臨死体験とか、その他の怪しげな宗教的事象を当てはめるとやばくなるけど、たとえば 「愛」 とか 「正義」 とかを当てはめれば、わりと誰でもしている 「決めつけ」 だと思う。
(まぁ、本当に臨死体験的なものが存在するかどうか確かめるためには、あの世とか生まれ変わりとか、川の向こうのお花畑でじいちゃんがおいでおいでとか、そういう話を生まれてから一度も、誰からも、どんなメディアを通じても耳にしたことのない人間がそういう体験をする必要があるけど。そしてそんな無菌状態で人間を育てられない以上、これは魔女の証明に近い確認不可能なことだと思うけど)

本当にそうであるか、が重要なのではなくて、
本当にそうであると信じた、それが重要 (もしくは問題) なのだ、という話。
映画 『記憶の棘』 はそういう映画だと思った。

ニコール・キッドマン演じる主人公は10年前に夫を亡くして、ようやく再婚しようとしている。 そこへ10歳の少年が現れて、自分は夫だ、と言いだす。 夫でなければ知らないような事実をいくつも知っていて、何より少年が真剣そのものの顔で愛を語る。

この不思議な話のからくり自体は、終盤にかけてかなりはっきりと整理されて提示されている。 で、そのからくりを踏まえたうえで、なおも 「本当に」 生まれ変わりなのかどうかは確かめようがないので、それは観る者にゆだねられている。 だけど大事なのはそこではない。少年が信じ、主人公が信じた。 信じたからには、それはもはや 「真実」 だ。 そして主人公が信じたことを、つまりは彼女の心が今も前の夫のもとにあることを新しい夫 (再婚相手) もわかってしまったという点において、少年の話は太刀打ちできない「真実」の力を持つ。 少年が主人公に向けたひたむきな愛情も疑いようのない「真実」――たとえ、<ネタバレ→>本当の前夫が浮気をしていたから、少年が主人公を愛すること自体が、彼が生まれ変わりではないという「証拠」であると<←>認めざるを得ないとしても。

どう信じるか、または、どう信じることにするか。 それは良い意味で幸せを選びとる力にもなるだろうし、この映画のように悲しみにとらえられることにもなる。 真実であるかどうかよりも、「信じた」 ことの力は大きい。



少年ショーンを演じたキャメロン・ブライトという子が、『シックスセンス』 の頃のオスメントくんみたいないかにも繊細そうな顔じゃなくて、『アバウト・ア・ボーイ』 の仏頂面坊主によく似た下ぶくれ顔なのが、むしろ否定しがたい説得力があっていいと思った。 だけど、ニット帽の仏頂面坊主ことニーマン・マーカスが、『シングルマン』 ではコリン・ファースを誘惑するお耽美系美青年になってるからなぁ。 キャメロンくんも、実はそんな未来が待ってるかと思うと、楽しみで楽しみで。

ニコール・キッドマンは相変わらず美しいけれど、ショートカットは似合わないと思った。 美人はショートでも必ずきれいなものだと思っていたけれど、案外とそうでもないのね。


そうそう、この邦題は秀逸。原題Birthよりも内容を見事に表している。

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4/3の作業記録
  案件B:読んでる。

 4/4の作業記録
  案件B:読んでる+企画書作成。

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by yumi_in_the_rye | 2014-04-04 18:37 | 観た映画 | Comments(0)


最近の清水ジャンプ

by yumi_in_the_rye
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カテゴリ
MYSELF:
Yumi
---Translator (E > J)

翻訳者です。
下記に掲載している
本の翻訳に関わりました。

コメントは、現在は「承認制」にしています。

初めてコメントを書いてくださるときは、「はじめまして」的な一言を添えて下さると、大変に安心いたします。「通りすがり」や「名無し」、それらに準ずるハンドルネームは避けていただけると嬉しいです(嫌いなので)。



※過去の記録はいいかげんこっぱずかしくなってきたので非公開にしています。
ライフログ
最新のコメント
「すごい」の強要に応じて..
by yumi_in_the_rye at 16:09
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> SKomoriさん ..
by yumi_in_the_rye at 19:57
遅ればせながら…大変貴重..
by SKomori at 18:13
ありがとうございまーす。..
by yumi_in_the_rye at 07:38
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