グッドライフを探して
2017年 09月 29日
僕が昔から耐えがたくおそれていたのは、この星で過ごす短い時間が、すでに書いた書類を承認するための別の書類を埋める作業で終わっていくことだった。 もっと最悪なのは、僕が忌み嫌うものごと――戦争、職場の陰湿な人間関係、役所主義的な指示と服従、自然の搾取、そして電子画面にへばりつく時間──をいつまでも続けようとする企業や組織にせっせと仕えて、この刹那の生を垂れ流していくことだ。 仕事をする意欲はあったが、自分の仕事は何らかの意味をもつものであってほしかった。 大地や都市を修復し、平和と正義を広げていくような。椅子に縛られてボタンを押し続ける8時間を過ごし、ぐったり消耗して焦燥感ばかりを抱くのではなく、自分の手と、足と、肺を、自分自身の心と一緒に動かす仕事で、充足感を味わっていたかった。
ムダなものを徹底的に削ぎ落としたシンプルな生き方は、大地と、生活と、そして経済と、さらには魂と、深い真実の関係を生み出すのではないか。 仕事と家族と住居が意味をもって組み合わさる、昔ながらの 「家」 という概念を、あらためて学んでみたいと考えた。 僕たちは近代的な生活をどこまで捨てられるのか。現代人は何を得て、何を犠牲にしてきたのか。 そして本当の意味での 「ゆたかな人生(グッドライフ)」を送るにはどうしたらいいのか、それを学びたいと思った。
・・・本書で紹介することにした3家族は、ただ単に主流から外れた生活(オルタナティブ・ライフ)を送っているのではない。 彼らはそれぞれに、この世界の破綻の一面を引き受け、力の限りを尽くして、それに立ち向かう道を選んだ――しかも、きっと持続可能で、もしかしたらほかの人でも再現できるのではないかと思える方法で、彼らは解決に臨んでいる。 その姿は僕の心に強く響いた。思い描くビジョンが完璧に叶うことなどないからといって、そんな理由で夢をあきらめていいのかと、彼らは僕に指をつきつけていた。
信念に沿って、けれど世捨て人にならない生き方の可能性を探して、著者は、オフグリッド(電気不使用)や自給自足の生活を選ぶ3組の夫婦に出会います。
ミズーリのサラとイーサン。
デトロイトのオリヴィアとグレッグ。
そしてモンタナのルーシーとスティーブ。
本書は彼女たち6人の現実的な紆余曲折を、矜持と承認欲求のはざまでうろうろする著者の目から、丹念に追いかけて行ったルポルタージュです。
自給自足、オフグリッド、パーマカルチャー、有機農業、インテンショナル・コミュニティ、非暴力と市民的不服従、都市再生、都市型農園、ローカル経済、贈与経済、恩送り、スモール・イズ・ビューティフル。
そんなキーワードにアンテナが立つ人には、特に興味深く読んでもらえるかも。
同著者の前著 『スエロは洞窟に住むことにした』 を読んで心が震えた人には(この本と、この訳に、私は心臓を撃ち抜かれたかと思った)、『スエロ』 のときとは少し視点を変えた著者の誠実なる試行錯誤っぷりにも、どうかつきあっていただければ。
『スエロ』 と同じ訳者さんが手がけた 『ぼくはお金を使わずに生きることにした』 や 『無銭経済宣言』にいたく感銘を受けた人にも、それから 『食べることも愛することも、耕すことから始まる』 にときめいた人にも。
そうじゃない方にも。
私を知ってる人にも、そうじゃない人にも。
『壊れた世界で“グッドライフ"を探して』、読んでもらえたら嬉しいです。
by yumi_in_the_rye
| 2017-09-29 15:20
| 仕事のこと
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