still crazy after all these years



トリックがトリックでなくなるとき

そういえばなかなかまとめられずにいたけれど、『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した物語』 は衝撃的な映画だった。

文学技法の1つに 「信頼できない語り手」 というのがある。 要するに主人公が無意識的または意識的に読者・観客をミスリーディングする叙述トリックなのだけれど、私は基本的にはいつもその可能性を排除して読む/観ることにしている。 疑ってかかるんじゃなくて、ひとまずは主人公のFirst Person Viewをまるっと信じて物語に入る。 それがだんだん危うくなってくるぞわぞわした感じや、あるいは唐突に崩されるときの衝撃。そういう、こちらの疑似アイデンティティが完全に転覆する体験が、フィクションを味わう醍醐味のひとつだと思うからだ。

もちろん、それは 「やられた!」 と舌を巻くような巧みさでやってくれなくちゃだめなわけで、「反則じゃん!」としか思わせないレベルだと反感しか抱けない。

前者の代表は、たとえばカズオ・イシグロやナボコフの作品。 イシグロの作品は映画版でも巧みに仕上がっている。

一方、これをミステリのトリックに使うとどうも陳腐に陥ることが多い。 最近観た映画では、ミラ・ジョボビッチの 『パーフェクト・ゲッタウェイ』 はB級。 キリアン・マーフィーとロバート・デニーロの 『レッド・ライト』 は、心意気は買うけれどいまひとつかなぁ・・・という印象。 反対に、このトリック成功例としては有名すぎるけど、やっぱり 『ユージュアル・サスペクツ』 は見事だった。 脳をぐんにゃりさせてくれるといえば 『メメント』 がぴかいち。 『アザーズ』 も最後までだまされた。
(少々オタク気味な例なので挙げるのはためらわれるけれど、漫画『3×3 EYS』の第二部で、「主人公が主人公じゃなかった」というのも衝撃的だったなぁ・・・あ、くしくも主人公の名前がこちらもパイだけど)

『幸せの行方...』 は、さらにこの叙述トリックを逆手にとっていて、本当にすばらしいと思った。 主人公を演じるライアン・ゴズリングは、心の奥底に強い暴力性を秘めた役柄をやらせると実に見事で、暴力ふるっていたほうが真実味があるというか、(現実世界では絶対にありえない評価なのだけれど)「暴力ふるってたほうがカッコいい」 というおそるべき俳優だ。 そのライアン・ゴズリングに主人公を演じさせ、しかも彼が暴力を振るうシーンを一度も描かない (一度、妻の髪をつかむだけ) ことによって、最後まで真相を明らかにしないにもかかわらず 「絶対こいつがやった」 と観客に信じさせる。 あれは巧い。



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8/20の作業記録
 案件A:23枚チェック。
 案件C:5枚訳す+8枚チェック。
 案件H:11枚チェック。
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で、長々と遠回りしたけれど、『ライフ・オブ・パイ』。

これも、一言で言ってしまえば 「信頼できない語り手」 の物語。 私はそれに気づくのが遅くて、例の人を食う島が出てきたあたりで 「・・・ん?」 と思ったものの、最後の最後で真相が明かされるまで、パイの物語は真実 (小説としての「現実」) だと信じていた。
その面白い証拠として、私にはあの島の 「寝姿」 が女性、具体的にはヴィシュヌ神の姿をかたどっていること、つまりはここまでの展開のすべてが現実ではなく心象風景であるとはっきりと提示されるシーンが、見えていたのに認識できなかった。 目は脳にだまされるってやつ。

パイは 「信頼できない語り手」 で、彼が海に投げ出されてからの話はすべて彼の妄想。 だけどアン・リー監督がすごいのは、その妄想に完全に信じてみせたことだと思う。 パイは怪しいですよ、裏がありますよ、というめくばせを観客に送らない――つまり、「監督と観客」vs「パイ」の構図ではなく、あくまでパイの側の真実を真実として描ききってみせる。そこで浮かび上がるのは、何が本当に真実であったかではなく、なぜこの物語でなければならなかったか、の部分だ。

そうするともうひとつ面白いのは――映画の売り文句として 「圧倒的な映像美!」 的な書かれ方をした、あの素晴らしいCG映像の位置づけが変わってくること。 青白く輝くクジラが宙を飛び、蛍光するクラゲが水中を照らし出し、深みからジンベイザメが悠々と上がってくる、今のCG技術がなければとうてい視覚化できない映像は、前半の物語を 「真実」 として観ているうちは、「アン・リー監督の演出(つまり嘘)」 だ。 だけど、最後のひっくりかえしがあって、前半の物語が 「妄想」 となってから考えれば、あの幻想的な美しさは 「パイの真実」 になる。

信頼できない語り手が、嘘を語っていることを明らかにしつつ、なおも嘘を信じることが正しいと思わせる新しい道。
乱暴な言い方だけれど、宗教にとっての真実とはそういうこと――信じるかどうかということ――だ、というのが原作の根底にあるのだと思う。アン・リー監督は、映画という嘘で、主人公の嘘を描ききってみせることで、そのコンセプトを作品としてもメタ的にも表現した。そういう映画だと思った。




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by yumi_in_the_rye | 2014-08-21 07:57 | 観た映画 | Comments(0)
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